理想的なオフィス作りに向けてVol.4
第4弾です。
前回までのBlogは⤴からご覧ください。
前回はRE/MAX L-styleに小谷真千子エージェントが合流したところまでのお話でした。
今回はその続きから
目次
ようやくRE/MAXオフィスとして本格的に活動開始
小谷さんがRE/MAX L-styleとして活動し始めたのが2018年10月?11月?
ここからようやく本格的にRE/MAXオフィスとして活動が始まります。
今までだだっ広いオフィスに一人だけだったのに、もう一人そこにいるだけで気分は全然違います。
ただ、雑談をしたり愉快に談笑したり、そんな雰囲気が別にあるわけでもなく、二人とも黙々と仕事をこなします。
それぞれのクライアントさんへの提案書を作ったり、契約書を作ったり。
『この物件どう思います?』
『ちょっと弱いかな?もう少し物件探してみよう』
彼女はその時、自分のクライアントさんへ東京の収益物件を紹介していました。
以前経営していた不動産会社では、遠隔地の物件紹介などほとんどしたことがなかったのでそれも少し衝撃的でした。
案内は自分で行くのかなと思っていたら自分で行くし、決まらないと思っていたら購入の方向に展開していくし。
でもそこで少し悩みました。
契約になるのはいいけど、物件調査は必要だし、そもそも物件の事が分からなければ調査もできない。
この契約書を作るのは大変だぞ。自分で調査行くしかないか、そう思っていたら、
『大丈夫です。私が行って調査し、契約書も作成します。』
彼女はそう言いましたが、やはり私的には不安です。
今までで一緒に不動産取引をしたこともないし、契約書・重要事項説明書を作るスキルがどこまであるか分からない。
宅建士の資格があるからといって、みんなが完璧な契約書、重説が作れるわけではありません。
『じゃあ一緒に調査に行こう。ついでに物件も見たいので見に行こう!』
東京同行が決まりました。
一緒に東京の役所や現場を回りましたが、想像以上にしっかりしていました。
聞くこと、調べることは事前にリサーチしていましたし、何より下準備がしっかりしていました。
現場では売主業者さんとアポを切り、そのおかげで不明点は全て解消できましたし、役所でも先陣を切って質問していました。
『あれ?想像以上だな。必要事項、注意事項だけしっかり伝えていれば次回からは一人で大丈夫だ。』
そう確信できた東京出張でした。
東京に来たついでに、東京のエージェントさんたち、オフィスオーナーさんたち、東京本部の人たちとも会えましたし、すごく有意義な東京出張になったのです。
RE/MAX Japanコンベンション
RE/MAXの一員として活動が始まったばかりでしたが、2019年初頭にBigイベントが開催されることになりました。
第1回RE/MAX Japanコンベンションです。
日本全国のオフィスオーナー、エージェントさん、そして世界各国からもRE/MAXの人々も招待し、ホテルの会場でイベントを開催しようというものでした。
とはいえ、私はまだ何の実績も残していない身です。
東京開催だし、行くか行かないか少し躊躇していたのですが、第1回目であること、そして小谷エージェントが年間表彰されると聞いたので、再び東京出張へ出向くことにしました。
これが後々のRE/MAX L-styleの原動力の大きなきっかけになるとは思いもしませんでしたが。。。
会場に足を運びましたが、人見知りの私にとってはしんどい場でした。
仲良さそうに話をする面々、私はどこの誰かも知りません。
そして海外からの招待客のみなさん、当然英語で話しかけてきますが、何を言っているのか分かりません。
会場には翻訳機は用意されていましたが、イベント時の翻訳のみです。
場違いだな。。。
そう感じていた時に表彰式が始まりました。
そこで、ド派手な演出で表彰されていくエージェントさんたち、既存オフィスさんたち。
やっぱ来るんじゃなかった。
場違いだった。
とは思いつつ、いつかこの表彰台に立ちたいという気持ちにはなっていました。
でも、まだその自信はありません。
エージェントの個人表彰が始まります。
小谷真千子エージェントは、この時すでに前のオフィスでも実績を上げており、表彰対象者の一人でした。
その当時、しっかりと活躍できているエージェントさんはまだ少なく、自分の中では年間売上TOP、こう確信していたそうです。
すると結果は、まさかの2位。。。
その時、彼女を横目で見ると悔し涙であふれかえっていました。
彼女を応援してくれていたクライアントさんたち、彼女をNo.1エージェントに押し上げるために一生懸命協力してくれていたそうです。
負けた悔しさというより、そのクライアントさんの思いへ応えられなかった、その気持ちがあふれかえっていたのです。
私の肩で涙を流しました。
ジャケットは少し濡れてしまいましたが、私の中でメラメラと燃え上がった闘志が肩についた涙を消し去ります。
『いいやん。今年は2位で。その代わり来年はブッチギリの1位を取ろう。』
『ボクも全力でサポートするから、今年の倍の売上を2人で作ろう!』
2人で誓った瞬間でした。
その彼女は翌年の表彰式で、約束通りブッチギリの1位を獲得します。
しかも約束した数字よりもはるかに上の数字で。
彼女はその時、よっぽど悔しかったんでしょう。
私が思っている以上に。
でも、その反骨精神とその後の集中力、その1年の奮闘ぶりは言葉で表すことができないほどの頑張りでした。
RE/MAXの新たな歴史の始まりがここからスタートしたのです。
※1年後の話はまた別の章でゆっくりとお話しします。
余談ですが、この表彰式で私も1つ賞をいただきました。
MIO(モースト・インプレッシブ・オフィス)という賞でした。
最も印象に残ったオフィスという意味合いで表彰してくれた賞とは言っていましたが、私の中ではMIO(真千子が入ったオフィス)そう解釈していました。私の中でも、本当の意味でMIOになれるよう頑張ろうと決意したのが、この表彰式、そして第1回のJapanコンベンションでした。
2人にとって、そしてRE/MAX L-styleにとって重大な一日になりました。
1年目のL-style
それからも、彼女の疑問点や質問に答えながら自分の仕事をこなしていく毎日でした。
前述した兼業で活動中のエージェントさん二人も、L-style Clubの勉強会などに参加したり、徐々にオフィスに顔を出す日が増えていきました。
次に入ってきたエージェントは、福岡で自営業をしながらエージェント活動をしたいと始めた人でした。
その時はまだ福岡どころか中国・九州には加盟店舗がなく、兵庫・大阪が一番近い店舗だったためRE/MAX L-styleを選択しました。
今考えたらすごく申し訳ないんですよね。
ZoomなどのRemotoでのやり取りは主流になっていなかった時代なので、遠隔でサポートすることがほとんどできませんでしたし、大阪出張の際にちょこっとお話しするだけ。。
それでは仕事になるはずもなく、3ヶ月で依願退職していきました。
そこで力を入れていこうと思ったのが、学習動画です。
オフィスに来なくても不動産知識や不動産実務を学んでもらえるようにといくつか動画を作成しました。
オフラインではL-style Clubの中で勉強会を開催していましたので、中身はほぼその丸パクリではありましたが、そういう視点を持つことができるようになった一つのきっかけでした。
その後入ってきたのは、小埜エージェント。
彼は小谷エージェントとも旧知の中で、RE/MAXの存在を知りエージェント面談へ来てくれました。
彼が持つ保有資格は列記したらキリがないくらいの資格マスターです。
宅地建物取引士・公認不動産コンサルティングマスター・公認不動産コンサルティングマスター相続対策専門士・CPM®(公認不動産経営管理士)・CCIM(公認不動産投資顧問資格)・賃貸不動産経営管理士・相続支援コンサルタント・競売不動産取扱主任者・ホームステージャー2級・甲種防火管理者・少額短期保険募集人資格
簡単な資格だけでなく、 私が苦労して取った公認不動産コンサルティングマスター・公認不動産コンサルティングマスター相続対策専門士も保有していました。
CPM・CCIMという資格もなかなか取れない資格です。
今でもいろいろなところで講師としても活躍中です。
今RE/MAX L-styleの書庫に並んでいる不動産の専門書たち、6割以上が彼の寄贈分です。
彼がRE/MAXエージェントとして活動しだした理由、それは賃貸や賃貸管理、相続の話など専門知識は数多く持ち合わせているけども、売買実務の経験が少し乏しかったので、その経験を積みたいという理由でした。
あまりオフィスには来ませんが、彼の書籍たちが後進のエージェントさんたちに知識を吹き込んでくれています。
そんなこんなであっという間の1年が過ぎ去ろうとしていました。
この1年間、コンベンション後の8ヶ月間ほどでオフィスの売上は積み重なっていきました。
もちろん小谷エージェントの活躍あってのものですが、私自身も1年目は自分もエージェント、まだまだそこらのエージェントには負けないという気持ちがまだまだ強い時期でしたので、個人的な売上を上げていくことにも注力していました。
彼女に1位を、しかもブッチギリの1位をと約束したのですが、簡単に1位を取らせたのでは彼女の為にもならないと思っていたからです。
半年くらいは競り合えるように頑張っていました。
でもどうでしょう。
みるみるうちに差が広がっていくではありませんか。
半年くらい経ったころには、ライバルにもならないくらいの数字が彼女には積み重なっていました。
やっぱ、エージェントサポート、これが自分の使命だな。
エージェントとしては一流にはなり切れない。
オフィスオーナー業を真剣に取り組もうと考えに切り替わり始めたのはこの頃でした。
そう考えだすと不思議なもので、次の新しい出会いが現れていくのです。